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公益社団法人仙台市防災安全協会

宮城県沖地震の記録

宮城県沖地震の被害状況

昭和53年6月12日17時14分、宮城県沖を震源地とするマグニチュード7.4の地震が発生しました。仙台では震度5を観測し、市域で死者16人、負傷者約1万人、住家の損壊約9万棟の被害が生じるなど、人口50万人以上の都市がはじめて経験した都市型の地震災害といわれました。

特に、建築基準を満たさないブロック塀や宅地造成等規制以前の造成宅地の危険性が大きな社会問題となり、緑ヶ丘地区では集団移転も実施されました。また、卸町地区では286社の社屋のうち、全壊3社、半壊262社の被害があったほか、市域南東部でも家屋等に大きな被害が発生するなど、地盤条件により被害が発生する傾向が見られました。

ブロック塀社屋の倒壊農家の被害宅造地の被害民家を襲う巨石被害分布

ライフライン関係では、都市ガスは、全国のガス事業者から延べ1万人の応援を得て全面復旧に約1ヶ月を要しており、上水道では全面復旧に10日間を要するという被害を受けました。また、地震直後から電話回線が輻輳状態となり、消防活動をはじめ行政機関の災害対応活動に著しく支障を及ぼしたことや、停電により交通信号が滅灯し、激しい交通渋滞が発生したことなど、都市型災害の新たな問題点が浮き彫りになりました。

地震後の対応ですが、仙台市では地震から6分後の17時20分に災害対策本部を設置し、非常配備を発令して全職員が応急対策活動にあたりました。更に、緑ヶ丘に現地対策本部を置いて機動的な現地対応を図りました。

復旧過程の6日間と被害状況

ライフラインの復旧状況

●復旧に1ヵ月を要した都市ガス

ガスホルダー炎上ガスの復旧作業

地震の発生と同時に原町工場の低圧ガスホルダーが倒壊、炎上しましたが、ガス局の自衛消防隊と消防隊の活動により約1時間後には鎮火しました。また、ガス管の被害は供給全地域で約3千件に達しており、二次災害防止のため、発災後直ちに全需要家13万5千戸の供給を停止しました。被害は軟弱地盤の地域と丘陵宅造地に多く、特に切盛土の境界付近に多く発生しました。

ガスの復旧は全国のガス事業者からの延べ1万人の応援を得て行われましたが、本支菅と全需要家の内観の点検を必要とするため、一部の供給開始が6月16日、供給戸数の50%が回復したのが6月24日になるなど、復旧に約1ヶ月を要しました。

●上水道の被害

給水車

旧仙台市では、当時給水戸数20万7千戸余りのうち、配水管の破裂等により、約7千戸が断水しました。翌日中には5千戸が復旧し、6月15日には一部を除きほとんどが復旧しました。全復旧には10日間を要しました。

この間、24時間の応急給水体制がとられ、給水タンク車延べ149台により637回の給水が行われるとともに、道路崩壊等で復旧が困難な地域では、臨時共用栓が設置されました。

また、旧泉市では断水戸数が2万戸に達し、給水人口のほとんどが水を失う被害となりました。これは当時の宅造業者が運営する民営の水道が、泉市への移管に向け施設整備工事の施工途上での被災であったことや、脆弱な石綿菅や老朽化した施設が残存していたことが被害を大きくした要因と考えられます。

●早かった電気の復旧

発電所、変電所の故障のため、旧仙台市内では一時全地域で停電しました。宮城県内で41万9千戸、東北5県で56万9千戸が停電しましたが、旧仙台市の中心部や旧泉市などでは13日までには送電が開始され、その他の地区についても14日には復旧しました。

また、停電により交通信号機がすべて滅灯し、それが夕方のラッシュと重なったため、激しい交通渋滞が発生しました。仙台駅前で午後11時頃、国道45号線では午後11時半頃まで渋滞が続きましたが、幸い特に事故や混乱は無く、二次災害の発生もありませんでした。